【逆読みする】抗告審での弁護活動総括  弁護団及び協力研究者の失策4選

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日野町事件は、当ブログでも応援している事件の1つですが、報道によれば、連休明け以降にも大阪高裁の決定が出そうな趨勢のようです(京都新聞WEB)。心から、阪原弘さんの雪冤を願い、祈るものです。

ただ、報道や、公刊物、市民集会での弁護団や協力研究者の報告を見る限りでは、管理人個人としては実は、非常に不安を覚えています。この人たち(弁護団及び教授)は最善弁護ができているのだろうか、と。

そこで、検察の即時抗告を棄却する決定を切に願いながらも、素人考えとして、あえて、ネガティブ方向から、弁護団の4年間の軌跡を整理したいと思います。

~9割勝てる事件を失策で落とした弁護団

1 即時抗告審の事後審性を理解しようとせず、最も重要な判断構造についての主張を行わなかったこと  →仮に再審請求が棄却された場合、1が最大の失策となります。後日、別記事で詳述する予定です。

2 攻撃防御の対象となる原決定があたかも脆弱な決定であるかのように、思い付き的な新証拠を五月雨的に追加し、攻撃防御の対象や立証構造の理解ができていなかったこと。大崎第3次最高裁決定、飯塚第1次最高裁決定、名張第10次異議審名古屋高裁決定等の、近時の判例等がとる新証拠の排斥の手法について勉強が不足していたこと

  →名張決定以外は、これまでのブログ記事で記載していたとおりです。その要点を再度述べると、確定判決及び旧証拠群に個別の新証拠をぶつけて、確定判決の認定に疑いは生じないとして、確定判決を擁護する判断手法が、残念ながらトレンドとなっています。本来は、確定判決段階で存在した被告人に有利な旧証拠や消極的間接事実、累次の再審請求審での新証拠、当再審請求審での新証拠を総合考慮する必要があるはずなのに、されていない例が増えています。ただし、実務は、その手法が本来的な適正なものであるかは別として、二段階説に立っているため、証明力が認められない新規提出証拠は総合判断に供されないのはやむを得ないことはわかっています(この一段目を狭めすぎるのは、もちろん不当)。

3 高裁が事実の取調べとしての現地検証を実施しようとしたことについて、その意図の検討を怠り、実施の利害得失を分析しなかったこと(あわせて、終盤において、冷静に弁護方針の不足を振り返ることのないまま、早期決定を強く求め続けたこと)

→近時、控訴審による有罪方向への破棄自判と事実の取調べの要否について、これを必要とする重要で一貫した判例が相次いでいる(最高裁判所第1小法廷令和2年1月23日判決・刑集74巻1号1頁、同裁判所第1小法廷令和3年5月12日決定・同裁判所第3小法廷令和3年9月7日判決)ことから考えると、この現地検証は被告人側に有利かどうかははなはだ懐疑的です。

これは被告人の手続的保障のための判例法理と理解されています。しかし、後述のチョコレート缶事件判例、また広島保護責任者遺棄致死事件判例との関係で、論理則経験則等違反説の立場から、原判決・原決定の不合理を指摘するための方便として、事実の取調べが濫用的に実施される側面があり得ることに注意すべきでした。ところで、報道や集会での弁護団報告、支援を呼びかけるチラシ等から見ると、弁護団は、裁判体が現地の検証を実施するということで思考停止してしまい、開始方向の1審決定が維持されると疑いもなく即断していたように見られるのです。

問題の金庫引き当てにおいて、起訴検事が、案内を見て、犯人を確信して起訴に踏み切った事件であるから、現地を見た結果、有罪、犯人である心証を裁判体がもつ可能性があることを当然警戒すべきであり、場合によっては、検証を不要と述べることも検討はすべきであったのではないでしょうか。防御すれば勝ち、守り切れば価値、という即時抗告審の事後審性を踏まえた検討がされていたのか、一抹の不安を感じるのです。

4 裁判体やメディアの人情に訴える戦術に終始し、メディアに適時適切な情報を提供して、明白な冤罪事件であることをわかりやすく世論に訴えることができなかったこと

 →重大な事件で市民の関心も高いのに、京都新聞を除いて、ほとんど報道がされなかった。現地検証や、結審の記事もほぼすべての全国紙は地方版ですら取り上げず、大津地裁段階では大きくキャンペーンを組んでいた中日新聞も令和2年4月頃より、ほぼ関心を失っていました。

 弁護団は、三者協議の経過等について直感的印象的なプレスリリースに終始し、どのような主張の応酬がされているのか、わかりやすくメディアに情報提供することができなかった。そのため、記者会見を開くなどしても、多くのメディアはこの事件の記事を有意に取り上げなくなっていったように思われます。

まとめ いろいろ書いてみましたが、当ブログはご遺族を支援し、必ずや雪冤を成し遂げてほしいと願う者です。結果として、抗告棄却となれば何も問題ありません。はた目から見たもので、あえて反対側(抗告審の弁護方針が間違っていたのではないかという観点を立てて)から分析したものであることをもう一度お断りしておきます。

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