福井地裁民事部部総括裁判(裁判長)時代に原発の運転を差し止めた樋口元判事が本を出されました。
裁判官は、自分が担当した事件については、判決以外に何も語ってはならないという慣習があるようです。しかし、近時は、袴田事件確定審1審の主任裁判官であった熊本典道元裁判官が合議の内容について明かしたり、井戸謙一元裁判官らを取り上げた『原発を止めた裁判官』で、元裁判官らが当時の心境や気概を開陳するといったことがたまに見られるようになってきましたね。
おそらく最高裁判所事務総局としては、こころよく思っていないのではないかとも思いますが、司法制度のユーザーである弁護士、国民にとっては、悪いことではないのかなという気もいたします。(いや、知りませんけど。適当なことを言いました、すいません)
表記図書もさっそく読んでみました。はじめは、平易に整理しすぎているかなと思ったのですが、逆にその配慮のおかげでつまることなく一気に読めました。法律や原発の専門性のない私でも、よく内容が理解できました。著者の意図通りだと思われます(笑)
樋口判事は、福井地裁部総括から名古屋家裁部総括に異動して停年退官を迎えたわけですが、瀬木比呂志元判事らがこれを左遷であると断言する中で(檻の中の裁判官)、そうではないとかたくなに否定されています(本書134頁)。そこは、ご本人のプライドもあるのかもしれません、わかりませんけど・・・(自分はちゃんと順当に栄進したよって思いたい気持ちがあるかなと)。また、本書は、表立って裁判所の批判をしている箇所はほぼありません。これも、おそらくは樋口判事が高禄を最後まで食んで定年を迎えていることと無関係ではないと個人的には感じました(当たっているのかどうか、わかりません)。樋口判事は、その後の原発シフト(最高裁勤務経験者3名が送り込まれたこと)についても言及を避け続けておられますし、古巣に対する矛先がにぶるのは、最後まで最高裁の俸禄を得た以上やむを得ないことかもしれません(私が勝手に感じただけです)。ただ、やはりこの本は、現に担当した事件について、一般向けにわかりやすく整理して、表現も考えながら書かれている非常に良書であると思いました。少なくとも、原発に関わりのない方って現に稼働している日本では、いませんよね。1人1人が考えないといけない、影響力の極めて大きい問題だと思いました。樋口判事、ご執筆ありがとうございました!是非この件について、折に触れ発信していってください。
ところで、自分が法律家でもないのにこんなことを考えるようになったのは、映画「約束」のラストを見たこと(再審を開始した秋山賢三判事は、雪深い支部に左遷、ほかの再審開始を取り消した裁判官たちは主流の都市部の裁判所に栄転。ベースドオントゥルーストーリーらしい)と、瀬木さんの本を読んでからですね。他方で、学者の先生なのに、この判決は確定が確実と考えて裁判官がこのように説示したのかと真顔で書く人がいるのですが、これは私は嫌いです。なんの裏付けのないのにって思ってしまうのですよね。
おやっとさぁ。また来っでな。
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