「最高裁判所調査官解説」という背理  

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本ブログをいつも読んでいただき、ありがとうございます。薩摩隼人の管理人です。個人的に、大崎事件、袴田事件、冤罪東住吉国賠、冤罪湖東国賠、日野町事件、飯塚事件の6事件を熱烈支援してっとです。

さて、

読書の皆様は、『最高裁判所調査官解説』をご存じしょうか。年ごとに、最高裁が重要と考える最高裁の判決、決定をセレクトして最高裁判所判例集民事、刑事(それぞれ、民集、刑集と略すことが多いです)に集約しますが、それらの全てについて、担当の調査官が解説を公刊したものをまとめた本です(法曹会 刊行)。この調査官解説の「はしがき」には、その位置付け・性質について、次のとおり明記されています。

(その年の刑集登載判例の全部について)「最高裁判所の調査官が判示事項、裁判の要旨等を摘示し、かつ、当該裁判について個人的意見に基づいて解説したものを収録したものである。」

  • ブログ管理人注 摘示(てきし):かいつまんで要点を示すこと

また、裁判実務家の必携書とされている中野次男編『判例とその読み方(3訂版)』有斐閣2009年108頁では、調査官解説は、「あくまで調査官の個人としての立場で書かれたもの」であり、「判旨の解釈、その判例としての適用範囲などについて述べられたところも、あくまで執筆者である調査官の私見であって、その裁判をした大法廷または小法廷の見解ではない」と明記されています。

では、何が問題かと言いますと、調査官個人の見解という公式的な位置づけであるのに、その範疇をはるかに飛び越して、最高裁判所の判例と同程度の拘束力を持って、下級裁判所裁判官の判断を縛り、実務に波及効果を及ぼしてしまっていることです。そして、今回の記事のタイトルにあるように、これはまさしくおおいなる背理と言わなければなりません。一体どういうことなのでしょうか。

まず、調査官解説が個人的見解と明確に断られているのは、解説は判例そのもの(判示事項)より範囲が広いためです。本来、調査官解説に下級審裁判官が拘束される道理はありません。司法権の独立により、各裁判官の職権行使は独立してなされなければならないから、当然です。最高裁調査官室の裁判統制という批判を免れるために、「個人的見解」と断っているわけです。

ところが、実際の裁判実務を見ていると、到底、調査官の個人的見解とは言えない事象が現れます。例を挙げてみましょう。

裁判員裁判と控訴審の在り方について、重要な最高裁判例として、チョコレート缶事件があります(最高裁判所第一小法廷決定平成24年2月13日刑集66巻4号482頁。バレンタインデーだったらもっと覚えやすかったと思いますが、1日前です)。この判例は刑訴法382条の事実誤認(控訴理由の1つ)について、論理則経験則等に違反することを具体的に指摘する必要があると判断しました。この事件では、1審千葉地裁の裁判員裁判の判決は無罪でした(水野智幸裁判長)。それを、さしたる理由もなく、東京高裁は破棄・逆転有罪としたのです(小倉正三裁判長。日野町事件の控訴審の主任裁判官として、有罪判決を維持した裁判官でもあります)。つまり、このチョコレート缶事件は、1審無罪→控訴審有罪というパターンでした。チョコ缶事件最高裁判例は、非常に重要な意味を持ちますが、このように高裁の判断を一審尊重方向に判断した最高裁が、これは、無罪→有罪 だけに適用されるのか、有罪→無罪にも適用されるのか、当時、非常に問題となりました。なぜなら、1審 有罪→控訴審 無罪の場合にも、チョコ缶事件同様の高いハードルを課した場合、本来無罪の事案であっても控訴審で救済されない可能性が出てきてしまうからです。

実際、当時からこの議論は紛糾しましたが、有罪→無罪の場合には妥当しないという考えが非常に有力であったわけです。具体的には、次のような文献がありました。

・司法研修所編『裁判員裁判における第一審の判決書及び控訴審の在り方』法曹会2009年 111頁

抜粋 事実認定の判断に関して、控訴審の第一審への介入はできるだけ避けなければならないとしながらも、「一審判決の事実認定が不合理であると十分に説明できないが、一審の判断に疑問が残る場合は、そもそも事実誤認があるといえない場合と考えるべきであるが、そこに広い意味の経験則違反があると判断される場合には、被告人に有利な方向に限って介入すべきである、被告人に不利な方向では原則として介入すべきでないとする運用が肯定できるかもしれない。」という見解がある。(中略)ただ、有利・不利で差異を設けない見解によるとしても、公訴事実の立証責任が検察官にあること、再審事由が被告人の利益にのみ規定されていることは、被告人に有利な方向での介入の根拠とはなるであろう。  以上引用おわり

・東京高等裁判所刑事部部総括裁判官研究会「控訴審における裁判員裁判の審査の在り方」判例タイムズ1296号(2009年)9頁

 抜粋 被告人に有利な方向での介入(破棄)の問題

 ・・・基本姿勢は、控訴審として、裁判員の加わった第1審の判断をできる限り尊重するという立場から、第1審判決の事実認定への介入をできる限り避けようとするものである。そこで、控訴審は第1審判決の事実認定が違法といえる場合でない限り、介入できないのかという問題について意見を交換した。この問題について、被告人に有利な方向では介入すべきであるとする運用が肯定できるかもしれないという見解があるが、これに対しては、第1審判決に国民の感覚、意見が反映されているとみる以上、被告人に有利、不利という区別をする合理的理由はないとする見方もある。意見交換によると、立証責任が検察官にあること、再審事由が被告人の利益だけに規定されていることを根拠に、被告人に有利な方向では積極的に介入できるという見解が多かった。また、「無辜を処罰しない」というのが刑事裁判の鉄則であるから、事実認定の中でも、特に厳格な審査が必要であり、被告人に有利な方向では積極的に介入すべきであるという意見も有力であった。  以上引用終わり   

このように、裁判員法の施行により、第1審の事実認定に裁判員の意見が反映された結果、控訴審判決が被告人有罪方向に判決する場合は、論理則経験則等違反を具体的に指摘する必要があるが、無罪方向に判決する場合は、第1審判決を尊重するという論調が、現職裁判官の中で多く唱えられていました。

そして、第1審が有罪判決、控訴審が無罪判決という裁判員事件が最高裁で判断されるときが、やってきました。それが、広島の保護責任者遺棄致死事件、最高裁判所第一小法廷平成26年3月20日判決(破棄差し戻し)です。「第1審判決について、論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものと評価することができない。(中略)原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。」として、事件を広島高等裁判所に差し戻しました。

この最高裁の判断だけであれば、1事例判断で、この事件において、有罪が堅かったのかなと思うだけですが、問題は、最高裁調査官解説(小森田恵樹調査官)です。平成26年最高裁調査官解説 刑事(法曹会)を293頁から引用します。

「控訴審における事実認定の審査方法に関する議論の中では、控訴審において裁判員裁判である第1審判決をどの程度尊重するべきかという議論とも相まって、第1審判決が有罪の場合と無罪の場合とで事実誤認の審査基準に違いがあるか否かが議論されていた。そして、上記平成24年判例(ブログ管理人注 チョコレート缶事件最高裁判例のこと)が出された後も、この判例の示した解釈がどこまで及ぶかなどという形で同様の議論が続けられていたところである。」「注9  第1審判決が有罪の場合には平成24年判例の示した解釈は妥当しないという立場として門野博・法政法科大学院紀要第9巻1号52頁、原田國男・「事実誤認の意義  ―最高裁平成24年2月13日判決を契機として―」刑事法ジャーナル33号37頁等がある。(以下略)」

「本判決は、(中略)、平成24年判例の示した解釈を踏まえた説示を行っている。本判決は、刑訴法382条の解釈適用に関し、第1審判決が有罪の場合であっても、論理則、経験則違反説が妥当する旨を示したものとみられ、第1審判決が有罪の場合には平成24年判例の示した解釈は妥当しないとする考え方を否定したものと思われる

この小森田調査官の解説の「本判決は、(中略)、平成24年判例の示した解釈を踏まえた説示を行っている。」という部分は特に疑問を感じません。しかし、「本判決は、刑訴法382条の解釈適用に関し、第1審判決が有罪の場合であっても、論理則、経験則違反説が妥当する旨を示したものとみられ、第1審判決が有罪の場合には平成24年判例の示した解釈は妥当しないとする考え方を否定したものと思われる。」という部分はどうでしょうか?感覚的な心証、個人的見解に基づいて、事実上、判例法理を定立しようとしているのです。こんなことが本来許されるのでしょうか。そして、実際、この調査官解説以降、その個人的見解なる解説に従って、実務は動いてしまっているのです。最高裁の判例が示した説示に対する個人的見解が実際には判例としての効力を有してしまっているといえましょう。

さて、長々と書いてきましたが、再審請求事件についても同様のことが起こっていることに、読者の方は気づかれたことと思います。白鳥決定、財田川(さいだがわ)決定で示された判例法理が、判例を構成しない「個人的意見」に過ぎない最高裁調査官解説が繰り返し、限定的に捉えるべきと私見として述べ続けたのです。

 その後再審開始に至る事件が激減する。日弁連が支援する著名再審事件のうち、1990年代に再審無罪に至ったのは榎井村事件1件のみだった。その背景には、白鳥・財田川決定が示した新証拠の明白性判断手法である「新旧全証拠の総合評価」を限定的に解釈する最高裁調査官解説の相次ぐ発表があり、再審請求を棄却した決定にはその影響が顕著だった。

( 鴨志田祐美「再審制度の現状と『再審法』改正に向けた動き ―再審制度の『イロハのイ』から最前線まで」法学セミナー802号(2021年)59頁)

 具体的には、田崎文夫 昭和50年度、磯辺衛 昭和51年度、中谷雄二郎 平成9年度、三好幹夫 平成10年度である。

 このような調査官解説の実務に与える実際の影響を考慮せずに、白鳥・財田川決定こそが重要で、調査官解説は周知のとおり個人的見解だから、無視して良いと、愛媛大学関口和徳教授は論文でお書きになるわけだが、あまりにも実務から目を背けた空論というほかない(関口和徳ほか編『再審における証拠の明白性の判断方法・再論 全面的再評価説に立つことの意義』70頁 注57)。(ところで、同准教授は、すべての最高裁の判断について、全面的再評価説で説明できるとされており、最高裁で再審開始の結論ではなく、請求棄却の結論になった事件は、いずれも「旧証拠が強固であるため、全面的再評価説に立っても、再審を開始できない」事例判断であるとするものである。このような見解が、再審制度について進歩的と見える装いをまとった日本学術振興会科学研究費助成事業・基盤研究(B)「確実な誤判の是正に向けた新たな刑事再審制度モデルの構築」の参加研究者によって公刊されることに、驚きを禁じ得ないところである。

そして、そんなことより、飯塚事件の小池決定(最高裁第一小法廷決定令和3年4月21日・刑集75巻4号登載予定。以前に、当ブログの記事で詳しく解説しました。)である。この事件は、野村賢担当調査官により解説が執筆される予定である。(それ以前に、判例時報、判例タイムズで解説付きで掲載がされるのではないかと予想される。)再審請求事件での判例法理に上記調査官解説がどのような影響を及ぼすのか、非常に不安を感じている管理人である。

おやっとさ~、また来っでな(薩摩弁 おつかれさま、またUPするからね)

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